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フィーリングを享受する

 前回、カラオケを楽しむということを書きましたが、あのカラオケってものが果たして音楽を正統的にやっていると言えるかどうかは、議論が分かれるところだなあと思うのです。しかしカラオケが音楽産業の底辺を支えていることも事実ですし、庶民の娯楽として認知されていることも事実です。それで今やデジタル時代でありまして音楽もPCで安上がりに制作されてしまっているなんて現実があったりするのです。そんなデジタル音楽時代の中で唯一アナログで有り続けるものは何か?それは声、つまりボーカル(歌)なのですね。また声というのは、各自特有のもので唯一無二のものなのです。まあ歌ですから、基本としてリズム、音程等がしっかりしていないと困るといえば困るのですが、そこは最低限クリアされているとして、その人物の声で歌う時点でその曲はその人だけの世界で形成されることになると思うのです。別の言い方をすればオリジナリティってことになるでしょうか。
そして歌にはもう一つ、とても大切なものがあります。それは歌詞です。歌詞というメッセージがあるからこそ楽器が奏でるだけの音楽では成し得ないドラマがあると思うのです。そんなドラマの主役を演じられるからこそ、カラオケ文化の隆盛もあるのでしょう。またそれって自己満足の世界かもしれません。でもそんな自己満足でもその歌のフィーリングが歌う人にとって、しっかり享受されていれば、きっと歌う人は楽しいでしょうし、他人から見てオーラが出ているように見えるかもしれません。

とここまで書いて別にしろくま的カラオケ論を展開したいのではなくて、例によってスキーに照らし合わせてみたいのであります。例えば、声がスキーヤーの身体だとします。そして板&ブーツの用具がカラオケ(演奏部分)であり、歌詞が雪であるなんて考えてみましょう。カラオケの演奏部分は機械的に固定されて決まっています。そうすると声と歌詞についてはアナログ的に調和していけるものではありますよね。となるとカラオケを楽しむって、カラオケを介してアナログ的感性で表現できたら楽しいだろうな~と思ったりするのです。そんな考えでスキーを考えると、用具を介して雪と身体のドラマを各自の感性で創造して表現していくのがスキーではないかと思ったりするのです。

フィーリングスキーはスポーツではあるのですが、イメージや感性で表現するということが重要であると思っていますので、身近であるカラオケに例えてみました。ちょっと微妙に無理もあるような気もしますが、音楽シリーズで引き続き考えてみたいと思っていたりしますので、どうぞよろしくお願い致します。(^^


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